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NHK長野放送局
NHK長野放送局は、長野県を放送対象地域とする日本放送協会(NHK)の本部直轄の地域放送局で、テレビとラジオの県域放送を行っています。長野県の広大な地理的特性から、中南部の松本市に1938年に松本放送局が設置されましたが、1988年には支局に降格され、中南信地域の報道取材や受信料事務の拠点となりました。かつての放送会館は長野市城山公園にありましたが、建物の老朽化と1998年の長野オリンピックを機に、長野市若里のビッグハット前に新築移転しました。現会館は本局方式が採用され、五輪・パラリンピックの国際放送センターとして先行運用が開始されました。
1931年2月24日に長野放送局は本免許を交付され、同年3月8日に開局してラジオ放送を開始しました。1932年12月にはラジオ第1放送の周波数を変更し、1933年6月には日本初の野鳥の啼き声の生放送を成功させました。1942年には飯田中継局が開局し、1948年11月にはラジオ第2放送が開始されました。1950年には放送法施行に伴い社団法人日本放送協会が解散し、特殊法人としてのNHKに継承されました。
1957年には善光寺平テレビ中継局が開局し、翌年には長野局としてのテレビ放送が開始されました。1959年にはラジオ第1放送の出力が増強され、1960年にはラジオ第2放送の出力も増強されました。1961年にはテレビのローカルニュースが開始され、1962年には総合テレビと教育テレビが2局体制となりました。1963年には総合テレビのカラー放送が開始され、1964年には初の長野県議会の中継を行いました。1969年にはラジオFM放送の本放送が開始され、1970年にはFMステレオ放送の中継回線が強化されました。
1971年には放送用VTRのカラー化が完成し、1972年にはあさま山荘事件の中継取材を行いました。1976年には夕方のニュース番組『信州645』が放送開始され、1980年にはFMの全国放送用にPCMデジタルステレオ回線が導入されました。1983年には総合テレビの音声多重放送が開始され、1985年には緊急警報放送装置が整備されました。1991年には教育テレビの音声多重放送が開始され、1998年には放送会館が長野市城山から長野市若里に移転しました。
2004年には新潟県中越地震の被害状況の中継を行い、2005年には地上デジタルテレビ放送の予備免許を取得しました。2006年にはデジタルテレビのサイマル試験放送を開始し、翌年にはデジタル総合テレビでのマルチ編成放送を実施しました。2011年にはアナログ放送が終了し、2016年には松本支局の営業部分室を廃止しました。2022年にはNHKプラスで地域向けのテレビ番組の見逃し配信が開始され、2023年には令和改革により部制からセンター制に見直されました。
現在、NHK長野放送局では多様なテレビとラジオの番組が制作されています。総合テレビでは、平日の朝や昼のニュース、夕方の『イブニング信州』、金曜日の『知るしん 信州を知るテレビ』、平日の夜の『信州845』、土日祝日の『信州645』や『どどどど!信州イチオシ』が放送されています。ラジオ第1では、『ゆる信ワイド』や『給食ラジオ』が放送され、過去には様々な番組が制作されてきました。NHK長野放送局は、地域の情報を提供し、県民とのつながりを深める重要な役割を果たしています。