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NHK大阪放送局
NHK大阪放送局(エヌエイチケイおおさかほうそうきょく)は、大阪府大阪市中央区大手前4丁目に位置する日本放送協会(NHK)の拠点局です。近畿広域圏におけるNHKの主要局として、大阪府、京都府、兵庫県、滋賀県、奈良県、和歌山県の近畿地方共通の番組や、大阪局ローカルの番組、そして全国向けの番組を制作しています。その中でも「連続テレビ小説」はほぼ半年ごとに制作される看板番組の一つです。また、NHK上方漫才コンテストの主催も行っており、西日本のお笑い芸人にとっての登竜門としての役割も果たしています。
2001年11月、旧大阪放送会館の向かい側に新たな「大阪放送会館」がオープンしました。スタジオ、NHK大阪ホール、大阪歴史博物館を併設しており、コールサインのJOBKから「BK」とも呼ばれています。総合テレビの番組編成では関西ローカルへの差し替えが多いのが特徴です。
NHK大阪放送局は、万一の事態に備えて東京のNHK放送センターに代わるバックアップ機能を備えており、直下型地震や放送設備のトラブル、テロなどの非常時には大阪からテレビ・ラジオの全チャンネルを代替送出できる体制が整っています。さらに、大阪放送局は日常的に公共放送を担うバックアップ体制の強化に努めており、2020年10月には前大阪放送局長の角英夫を理事職兼任で復帰させ、大阪に駐在させることを発表しました。
2021年度の改編では、NHK大阪放送局の機能強化の一環として、13時台の『列島ニュース』の時間拡大、金曜日には生放送番組『ニュース きん5時』、『京コトはじめ』、『きょうの料理』などが新たに放送されることになり、大阪放送局制作の番組が午前中から夕方にかけて放送されるようになりました。2022年4月には不祥事の責任を取るため角英夫が局長を退任し、後任に小池英夫が就任しました。さらに2023年4月には小池英夫が担当替えに伴い局長を退任し、後任に林理恵が就任しました。
組織体制としては、2021年4月に部制度からセンター制に見直され、経営管理センター、コンテンツセンター、視聴者リレーションセンターという新たな枠組みで運営されています。これはNHKの「令和改革」のモデルケースとして位置づけられ、他の放送局に先行して実施されたものです。
NHK大阪放送局の歴史は1925年に遡ります。2月28日に社団法人大阪放送局が設立され、5月10日に三越呉服店大阪支店屋上からラジオ第1の試験放送が開始されました。1926年には社団法人日本放送協会関西支部に改称し、大阪市天王寺区上本町9丁目から本放送を開始しました。その後も全国高校野球選手権大会の中継や『ラジオ体操』の放送開始など、多くの歴史的な出来事が続きました。
1950年代には大阪テレビジョンの実験放送や総合テレビの本放送開始、FM実験放送など、放送技術の進化に伴う重要なマイルストーンがありました。1960年代にはカラー本放送の開始やテレビネット用マイクロ波回線の運用開始、大阪局制作の連続テレビ小説『うず潮』の放送開始などがありました。1970年代には万博の放送やFMの府県域化、音声多重放送の実験放送などが行われました。
1980年代には音声多重放送や文字字幕放送、文字多重放送の開始がありました。1990年代には教育テレビでの音声多重放送が開始され、阪神淡路大震災の報道特番も行われました。2000年代には地上デジタル放送の開始やアナログ放送の終了、NHKネットラジオ『らじる★らじる』の配信開始などがありました。
2010年代には民放ラジオポータルサイト『radiko』の実験配信や大阪拠点放送局への改称、テレビ主調整室の機材更新などが行われました。2020年代にはNHKプラスでの地域向けテレビ番組の見逃し配信や部制からセンター制への見直しが行われました。
このように、NHK大阪放送局は長い歴史の中で多くの変革と進化を遂げ、現在も近畿地方の放送の中心として重要な役割を果たしています。