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NHK富山放送局

NHK富山放送局は、日本放送協会(NHK)の地域放送局として、富山県を放送対象地域に含むテレビとラジオの県域放送を行っています。現在の放送会館には、1階に170インチの8Kモニターやマスコットキャラクター、おかあさんといっしょのキャラクターの記念撮影コーナーなどを備えた「ハートプラザ」が設置されています。
1935年12月13日、新総曲輪に社団法人日本放送協会富山放送局が開局し、ラジオ第1放送が開始されました。このときの呼出符号はJOIGでした。1945年8月1日に富山大空襲が発生しましたが、局舎は焼け残り、その後も放送を続けました。1949年1月3日にはラジオ第2放送が開始されました。

1950年6月1日、放送法の施行に伴い、社団法人日本放送協会が解散し、特殊法人としての日本放送協会が設立されました。この時点で一切の権利義務を継承しました。翌1951年11月2日から6日まで、富山市商工奨励館でテレビが富山県内で初公開されました。
1958年10月15日には総合テレビ放送が開始され、1961年4月1日には教育テレビ放送が開始されました。同時に豊田ラジオ送信所(無人局)が運用開始されました。1962年7月22日には総合テレビでカラー放送が開始され、1964年4月1日には教育テレビでもカラー放送が開始されました。同年7月1日にはFM実用化試験放送が開始され、本放送は1969年3月1日に開始されました。
1966年3月25日には呉羽山のテレビ送信所が無人化され、翌年3月20日には新総曲輪の二代目の局舎が完成しました。1985年3月1日には総合テレビで音声多重放送が開始され、1986年には文字放送が開始されました。1991年には教育テレビで音声多重放送が開始され、同年8月3日には局舎が改修されました。
2004年10月1日には総合・教育テレビで地上デジタル放送が開始され、2009年11月25日には「宇奈月大原」・「細入猪谷」の両デジタル中継局が開局しました。これにより、富山県内でのデジタル中継局の整備が完了しました。2011年7月24日には正午でアナログ放送が終了し、翌日0時に完全停波しました。
2022年2月14日には富山中央警察署の旧庁舎跡地に新しい放送会館が竣工しました。新会館は地上3階建ての鉄筋コンクリート造りで、高さは鉄塔を含めて59.7メートルあります。壁面にはNHKの番組や関連イベントの広告を表示するLEDモニターが搭載されています。同年8月29日には新放送会館の運用が開始され、最初の番組は『おはよう富山』でした。
2023年4月1日には令和改革により、部制からセンター制に見直され、コンテンツセンターと経営管理企画センターへ再編されました。さらに、5月29日にはNHKプラスで地域向けのテレビ番組の見逃し配信が開始されました。
NHK富山放送局には高岡と魚津に支局があり、お天気カメラは放送局屋上、富山ステーションフロントCiC屋上、富山空港、呉羽山、滑川、高岡商工ビル、氷見、五箇山、砺波チューリップ公園、立山天狗平、黒部ダム、岩瀬浜海水浴場、八尾などに設置されています。
現在の主な制作番組には、総合テレビの『おはよう富山』、『ニュース(富山)』、『ニュース富山人』、『ニュースとやま845』、『UPっぷ富山 きとラボ』、『ニュースとやま』などがあります。これらの番組の中には、NHKプラスの「ご当地プラス」で見逃し配信が実施されているものもあります。過去には『ニュースワイドとやま』、『モーニングワイドとやま』、『くらしの富山』、『CLIPS』、『ゆうどきネットワーク富山』、『とやま640』、『ニュースセンターとやま』、『イブニングネットワークとやま』、『みんまいけ富山ワイド』、『とやま 夢・航海』、『デジタル連峰』、『イブニングアクセス富山』、『越中とやまスペシャル』、『ラジオ富山人』、『今晩は富山です』、『港町相撲ボーイズ』など、多くの番組が制作されてきました。
これらの番組は、富山県内外の視聴者に対して地域の情報を提供し続けてきました。これからもNHK富山放送局は、地域に密着した放送を続け、富山県の魅力や情報を発信し続けることでしょう。富山放送局の長い歴史と多様な番組制作は、地域社会における重要な役割を果たしており、これからもその役割を担い続けることが期待されています。

アナウンサー・気象予報士