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RAB 青森放送

青森放送株式会社(青森放送、英: Aomori Broadcasting Corporation)は、青森県を放送対象地域とし、ラジオとテレビの両方を手がける特定地上基幹放送事業者である。この会社は、1953年に設立されたラジオ青森がその起源であり、今日ではAMラジオと地上デジタルテレビの両方を提供している。略称は「RAB」で、開局当初の名称に由来する。
青森放送の筆頭株主は東奥日報社で、経営や報道に深い関係がある。テレビ放送局としては、日本テレビ系列に加盟しているが、読売新聞グループ本社や日本テレビとの資本関係は存在せず、過去にテレビ朝日系列にも加盟していたが、現在では資本関係はない。青森県にはテレビ東京やフジテレビの系列局が存在しないため、一部の番組は番販ネットとして放送されている。

青森放送の特徴的な長寿番組『RABニュースレーダー』は、ローカルテレビ局の夕方のニュース番組として草分け的存在とされている。また、ラジオはJRNとNRNのクロスネット局で、テレビは日本テレビ系列に加盟している。青森放送は、1975年に青森テレビ(ATV)がANNを離脱し、その後1991年に青森朝日放送(ABA)が開局するまで、ANNとのクロスネット局であった。
青森放送のテレビ放送は、1990年に音声多重放送を開始し、2001年には24時間放送を実施している。深夜帯には『日テレNEWS24』によるフィラーが流されており、日テレNEWS24が休止される場合にはカラーバーを流すことが原則である。また、青森放送は緊急警報放送システムを実施しており、地上アナログ放送では毎週水曜日早朝に試験信号を発信していたが、地上デジタル放送では番宣スポットに差し替えられていた。
青森放送のマスコットキャラクター「らぶりん」は、青森県産のりんごをモチーフにしており、開局50周年の際に一般から募集された。キャッチコピーは「ホットするね!RAB」で、2003年から使用されている。以前は開局55周年記念として「あっ!RAB!」というキャッチコピーが使われたが、2008年には一時的に流された後、2009年までラジオで放送されていた。著名なマルチタレントである伊奈かっぺいは、2007年4月まで青森放送の社員として勤務していた。
青森放送の受賞歴としては、2022年に『カエレナイ街から~翔子さんと実穂さんと私たち~』で日本民間放送連盟賞ラジオグランプリを受賞した。部門別ではラジオ教養部門で優秀賞に輝き、他の部門の最優秀賞と優秀賞の中で最も高い得点を獲得し、ラジオグランプリ候補となった。また、2023年には『らじ丸にっち!~つどって歩いて黒石編~』でラジオ生ワイド部門優秀賞を受賞している。
青森放送の本社は青森市松森1丁目8番1号に位置し、青森テレビの局舎も同じ地内にある。支社・支局は弘前、八戸、五所川原、十和田、むつ、東京、大阪、仙台などに設置されており、それぞれの地域で取材や番組制作を行っている。弘前支社は津軽地方、八戸支社は県南地域、五所川原支局は津軽地方の西北五地区、十和田支局は上十三地区、むつ支局は下北地方を担当している。東京支社と大阪支社は、それぞれ関東と近畿広域圏の取材ニュースを青森放送に提供している。
青森放送の歴史は、1952年10月に宮城県のラジオ仙台が青森県にラジオ局を開局しようとした際に地元新聞社の東奥日報社が中心となり、1953年に設立されたラジオ青森に遡る。1953年5月には青森中継局の開設申請が取り下げられ、1953年10月にラジオ青森が開局した。初放送は1953年10月12日で、当時の放送開始時間は6時だった。その後、1954年には八戸ラジオ中継局が開局し、1956年には地上アナログテレビジョン放送の予備免許が交付された。1959年には地上アナログテレビジョン放送の本放送が開始され、1961年には青森放送株式会社に社名変更された。1970年には日本初のローカルワイドニュース『RABニュースレーダー』を開始し、1971年にはラジオの24時間放送を実施するなど、地域放送の先駆者として多くの試みを行っている。
青森放送は、時代の変化に対応しながら地域密着型の放送を提供し続けており、地域住民にとって重要なメディアとして、多くの視聴者やリスナーに愛される存在である。

アナウンサー・気象予報士