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SAY さくらんぼテレビ
株式会社さくらんぼテレビジョン(英: Sakuranbo Television Broadcasting Corporation)は、山形県を放送対象地域としてテレビジョン放送事業を行っている特定地上基幹放送事業者です。略称はSAY(セイ)ですが、2015年度以降はこの略称の使用は減少し、現在では「さくらんぼテレビ」という通称が主に使用されています。同局はフジテレビジョン(FNN・FNS)系列のフルネット局の一つです。
さくらんぼテレビジョンの設立に至るまでの経緯は複雑です。1993年4月1日、それまでフジテレビ系列だった山形テレビ(YTS)がテレビ朝日系列にネットチェンジを行いました。この結果、フジテレビ系列の多くの人気番組が山形県内で放映されなくなり、TBS系列のテレビユー山形(TUY)による時差ネットも一部の番組に限られました。山形県内でフジテレビ系列の番組をリアルタイムで視聴するには、県外の放送局を高素子アンテナやブースターを用いて越境受信する必要がありました。例えば、村山地方や最上地方では仙台放送(OX)、置賜地方では福島テレビ(FTV)、庄内地方では秋田テレビ(AKT)または新潟総合テレビ(NST)を受信する必要がありました。また、山形市のケーブルテレビ山形(現・ダイバーシティメディア)や米沢市のニューメディア、旧櫛引町の櫛引ケーブルテレビジョン(現・鶴岡市ケーブルテレビジョン)ではそれぞれ仙台放送や秋田テレビの再送信が行われていました。
このような状況の中、山形県内でフジテレビ系列局を設立する動きが始まりました。1993年夏には「フジテレビ系民放第4局を作る会」が結成され、市民活動が展開されました。署名運動などが行われ、その熱意によりフジテレビのゴーサインが下り、開局に至りました。開局に当たっては、フジテレビの社長であった日枝久氏や、山形県知事の高橋和雄氏、山形市長の佐藤幸次郎氏の後押しも受けました。主要株主には、かつて山形テレビがフジ系であった時のスポンサーが名を連ねました。
フジテレビの媒体開発局電波企画部長であった矢嶋武弘氏は、山形に系列局がないと東北ブロックのニュースやイベントなどで不便だという声があったため、決断したと述べています。また、郵政省(現・総務省)から地上デジタルテレビ放送の準備に関連して地上アナログ放送の周波数割り当てが岩手朝日テレビ(IAT)で終了するが、1年間は開局申請を受け付けるという通知が出たことも背景にあります。フジテレビは、高知さんさんテレビ(KSS)の開局で系列局の開局を打ち切る予定でしたが、この市民運動とYTSを通じてフジテレビのネット番組が長年放送されてきたことから、山形県のフジテレビ系列局の復活を決めました。そして1997年4月1日、KSSと同じ日にさくらんぼテレビジョンが開局しました。
本社は山形市郊外の落合町に建設され、ロゴマークはフジテレビの社名ロゴタイプと同様に馬場雄二氏が手掛けました。本局は東北地方の民間放送局(CFM局を除く)では最後の開局でもありました。試験放送期間中の新聞各紙における番組表の扱いについては、山形新聞、河北新報(山形版)、米澤新聞が試験放送初日から通常の番組欄へ掲載し、その他の各紙も本放送開始までに通常の番組欄へ移行しました。
開局初日の最初の番組である「さくらんぼテレビジョン開局ご挨拶」では、女性アナウンサーが「さくらんぼテレビは本日開局します。実に4年ぶりにフジテレビ系列の番組が山形に帰ってきました」と紹介しました。開局当時のキャッチコピーは「立派なテレビ局より、感じのいいテレビ局になりたい。」でした。
開局当初から将来のデジタル放送化の投資に伴う経費捻出を見据えた計画による徹底したスリム化が行われ、社員は当時44名のみでした。また、東京・大阪支社を自社で設けず、高知さんさんテレビと共同でフジテレビ関連会社であるフジクリエイティブコーポレーション(FCC)に営業業務を委託しました。開局から2009年までの約12年間はテレビスタジオが存在せず、報道制作ルーム内に簡便的なセットを設置して放送していましたが、デジタル放送開始に伴う環境の変化を受けて本社敷地内に汎用的なテレビスタジオを増築し、2009年10月5日に運用を開始しました。
また、開局から2013年3月まではテレビ東京系列の番組は権利切れの番組を除き一切放送されませんでしたが、同年4月から少数ではあるが放送されるようになりました。さくらんぼテレビジョンは、社名に地名や地域名を冠さない東北地方唯一の民間放送局でもあります。
本社は山形県山形市落合町にあり、庄内支社、置賜支社、仙台支社、東京支社、関西支社がそれぞれ配置されています。