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SBC 信越放送
信越放送株式会社は、長野県を放送対象地域とした中波放送(AMラジオ)事業とテレビジョン放送事業を行う特定地上基幹放送事業者である。略称のSBCは、設立当初の社名「信濃放送」に由来する。長野県および五大都市圏以外で最初に開局した民間放送局であり、全国では8番目の開局となった。
1951年10月18日に信濃放送株式会社として設立された同社は、翌1952年3月25日に全国で8番目となる中波放送(AMラジオ)を開始した。その約1ヶ月後の4月30日には現在の社名である信越放送株式会社に変更された。テレビ放送は1958年10月25日に開始され、1964年10月1日にはカラー本放送を開始している。
信越放送の筆頭株主は長野県の地元紙である信濃毎日新聞であり、信越化学工業グループとも関係が深い。テレビはJNN(TBSテレビ系列)に属し、ラジオはJRNとNRNのクロスネットを採用している。本社・演奏所は長年にわたり長野市北部の吉田地区に所在していたが、2006年に長野市中心部の鶴賀問御所町に建設された新本社ビル「TOiGO SBC」に移転した。
同社は長年にわたり、数々の優れた番組制作で高い評価を受けている。2006年には『SBCスペシャル 平吉さんの李平(すももだいら)』で日本民間放送連盟賞番組部門テレビエンターテインメント番組最優秀賞を受賞した。また、2022年には『SBCラジオスペシャル『黒猫』田口史人のレコード寄席~『昭和の校長先生』編』で同賞番組部門ラジオ教養番組最優秀賞を受賞し、ラジオ番組グランプリ候補作品となった。さらに、第60回ギャラクシー賞選奨も受賞している。
同年には『SBCラジオスペシャル 信越放送創立70周年記念ドラマ シンフォニー!』で日本民間放送連盟賞番組部門ラジオエンターテインメント番組優秀賞も受賞した。2023年には『SBCラジオスペシャル 戦争を学び継ぐ~登戸研究所調査研究会』で同賞番組部門ラジオ報道番組優秀賞、『Mixxxxx+(ミックスプラス)ヤングケアラーを考えよう・繋がろう』で同賞番組部門ラジオ生ワイド部門優秀賞を受賞。さらに『満蒙開拓・不都合な真実を語り継ぐ~ドキュメンタリー制作とアーカイブの活用~』で同賞特別表彰部門放送と公共性優秀賞を受賞するなど、多くの賞を獲得している。
信越放送の歴史は、地域に根ざした放送局としての成長の歴史でもある。1952年の開局以来、長野県の情報発信の中心として機能してきた。1959年8月1日には当時のラジオ東京テレビ(現在のTBSテレビ)のニュースネットワークであるジャパン・ニュース・ネットワーク(JNN)の発足時のメンバーとして加盟し、全国ネットワークの一員としての役割も果たしてきた。
1960年代から1970年代にかけては、テレビ放送の技術革新と番組制作の充実が進められた。1964年10月1日にはアナログ・テレビのカラー本放送を開始し、1970年には年内の局のローカル番組の全面カラー化を実現した。1970年1月13日からはニュースフィルムによる報道取材映像の一部がカラー化され、自社制作分のニュース番組の全時間帯のカラー放送が本格的に開始された。同年3月には県内の報道取材が全面カラー化され、長野県内のローカル局としては初めての試みとなった。
信越放送は地域の文化振興にも貢献してきた。1966年10月1日には長野市城山公園内に「財団法人信濃美術館」を開館し、地域の芸術文化の発展に寄与している。また、1972年2月28日に発生した「あさま山荘事件」の際には、人質救出の模様をJNNキー局であるTBSと協力して10時から18時56分まで同系列を通じて全国へ生放送するなど、重要な報道機関としての役割も果たしてきた。
現在、信越放送は公式マスコットとして、ふくろうをモチーフにしたキャラクター「ろくちゃん」を使用している。このキャラクターは、地域の人々に親しまれ、同局のイメージアップに貢献している。
信越放送は、長年にわたり地域に密着した放送局として、また全国ネットワークの一員として重要な役割を果たしてきた。優れた番組制作や地域文化への貢献、そして最新の放送技術の導入など、様々な面で放送業界をリードしてきた。今後も、地域の情報発信の中心として、また質の高い番組制作を通じて、視聴者のニーズに応え続けることが期待される。同時に、急速に変化するメディア環境の中で、新たな技術やサービスの導入にも積極的に取り組み、時代に即した放送局としての発展を続けていくことが求められている。