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TSB テレビ信州
株式会社テレビ信州(テレビしんしゅう、英: TV Shinshu Broadcasting Co., Ltd.)は、長野県を放送対象地域とし、テレビジョン放送事業を行っている特定地上基幹放送事業者です。略称はTSBであり、長野県で3番目に開局した日本テレビ系列フルネットの民放テレビ局です。局名に旧国名の「信州」が含まれているのは全国でも珍しく、社名に「テレビ」を含んでいるのも長野県内では同社のみです。コールサインはJONI-DTVです。
開局から2007年9月までは本社が松本市にあり、長野市には放送センターが設置されていました。そのため、「本社」と「演奏所」が分離していたのは県内で唯一でしたが、2007年10月に本社機能も長野市の放送センター内に移転しました。現在、松本市の旧本社は「松本営業部」となっています。テレビ信州はアルピコグループと深い関係があり、信濃毎日新聞、日本テレビ、読売新聞、さらにはクロスネット時代の名残で朝日新聞とテレビ朝日の資本も入っています。設立当初の発起人には、当時の読売新聞名誉会長で長野県出身の務臺光雄も名を連ねていました。
長野朝日放送が開局する前のテレビ信州は、ネット番組や資金、人的な結びつきなど多くの点で日本テレビの影響が大きく、日本テレビと読売新聞グループの「TSB残留」の意思が極めて強固でした。朝日新聞は最後までテレビ信州に残ることを強く主張していました。局のマスコットキャラクターとして現在は、2001年元日より登場した「マイチャン。」が採用されています。「マイチャン。」は「銀河系のあっち、ほのぼの星」から来た宇宙人という設定です。
本社と演奏所は長野市若里一丁目1番1号にあり、支社として東北信支社、中南信支社、東京支社、関西中部支社があります。さらに、上田支局と南信支局も設置されています。テレビ信州の沿革について触れると、長野県第3波の電波割り当て時には499件の申請があり、これらの申請を1本化したのが現在のテレビ信州です。
1973年10月に長野県に民放第3局の周波数割り当てが決定され、1979年10月30日に予備免許が交付されました。同年12月3日に会社が設立され、初代社長に小林司郎が就任しました。1980年9月24日にはサービス放送が開始され、10月1日には長野県3番目の民放テレビ局として開局しました。当初はNNNとANNのクロスネット局であり、ニュースローテーションは朝NNN、昼ANN、夕方ANN、夜NNNという形でした。1987年10月にはテレビ朝日のゴールデンタイムのニュース番組『ニュースシャトル』の放送開始に伴い、編成の一部が変更されました。
1991年4月1日には、長野朝日放送の開局に伴いANNを脱退し、日本テレビ系列フルネット局となりました。1996年には取材中のヘリコプター衝突事故が発生し、4人が死亡する悲劇が起こりました。2001年には新キャラクター「マイチャン。」が登場し、2006年には地上デジタル放送の本免許を取得しました。2007年には本社を松本市から長野市に移転し、本社と演奏所の分離が解消されました。
2020年には開局40周年を迎え、同年10月19日には「NNS標準営放システム」サービスの提供が開始されました。テレビ信州は日本テレビ系列とテレビ朝日系列のクロスネット局として開局し、ニュースネットワークはNNNとANNに加盟していましたが、1991年の長野朝日放送開局によりテレビ朝日系番組が終了し、NNNのフルネット局となりました。これにより、信越放送がネットしていた日本テレビ系の番組がテレビ信州に移行され、日本テレビ系列フルネット化が完了しました。
株式会社テレビ信州は、地域密着型の放送局として長野県内で多くの視聴者に愛され続けています。その歴史とともに、多くの困難を乗り越え、視聴者に高品質な放送を提供し続けてきました。