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TUF テレビユー福島

株式会社テレビユー福島(テレビユーふくしま、英: TV-U Fukushima, Inc.、略称: TUF)は、福島県を放送対象地域としてテレビジョン放送事業を行っている特定地上基幹放送事業者です。データ放送を実施しており、番組表サービス「Gガイド」を配信しています。TBSテレビをキー局とするJNN系列のフルネット局であり、コールサインはJOKI-DTVです。
テレビユー福島の本社と演奏所は福島県福島市西中央1丁目1にあり、郡山総支社、会津若松支社、いわき支社、東京支社、大阪支社、仙台支社といった複数の支社を持っています。1983年12月4日に福島県内で4局目(UHFでは3局目)の民放テレビ局として開局しました。

福島県では、1983年3月31日まで福島テレビ(FTV)がニュースネットワークとしてJNNに単独加盟していました。しかし、報道番組以外はフジネットワーク(FNS)に加盟し、TBSテレビとフジテレビとのクロスネット編成をしていました。TBSテレビとしては、既に福島テレビを含む全国25局のネットワークを形成していたため、新しいテレビ局を開局させることに対して当初は消極的でした。しかし、福島県初の民放テレビ局(福島テレビ)の開局に至るまで一本化調整が難航し、2度予備免許が失効する事態に陥ったため、福島県と福島県議会が調整し、福島テレビが開局しました。この経緯から、県が大株主に入ったこと、1971年に福島テレビと福島中央テレビ(FCT)側で株式と役員の交換を行った結果、持株比率が県が50%、フジテレビが30%、TBSがわずか3%であったこともあり、1977年秋頃から福島県における新しいTBS系列局の開局準備が進められました。
TBSテレビ側は社内外極秘で無線局開設申請書を作成し、1977年12月末には郵政省東北電波監理局に書類を提出しました。1982年9月10日には、改めて福島県における4局目の新しいチャンネルの割り当てが行われ、12月20日に締め切られた段階で166社に及ぶ予備免許の申請がありました。この申請社の中には、TBSテレビをはじめ、フジテレビ、テレビ朝日、ラジオ福島(RFC)、毎日新聞社などのグループが存在しました。
1982年11月下旬、TBS社長の山西由之、福島テレビ社長の岡田宗治、福島県知事の松平勇雄との会談の末、正式に4局目をJNN系列局にすることが決定されました。TBSテレビは福島テレビ側に11月30日、TBS系列番組のネット中止を通告しました。その結果、1983年3月31日に福島テレビがJNNを離脱し、翌4月1日からFNNに加盟しましたが、予備免許社の一本化調整が進まず開局の見通しが立っていなかったため、全面的にTBS系列の番組からフジテレビ系列の番組に切り替えず、TBSテレビのネット番組は視聴者保護のため、JNNの報道番組を3月31日で打ち切った上で、報道以外のTBS系列の番組を1983年9月30日まで放送することとなりました。
その後、5月11日に一本化調整が終了し、6月に会社が発足しました。急ピッチで本社、送信所、中継局の建設が行われましたが、開局予定日の10月1日には間に合わず、福島テレビがTBS系列番組を打ち切った1983年10月1日から、実際にTBS系列の番組を流すテレビユー福島が試験放送を開始する前日の11月21日まで、福島県では2か月間TBSテレビの番組が一部を除いて見られない事態となりました。
開局時の社員には、TBS出向者が8名、TBS退職者が1名、福島テレビから5名、JNN系列局の岩手放送やJRN系列局のラジオ福島からそれぞれ1名採用されました。このうちラジオ福島からは、アナウンサーとして佐藤資治が該当し、契約アナウンサーとして桑折久子も採用されました。
テレビユー福島のシンボルマークは、開局前に電通に依頼して制定されましたが、1991年12月に廃止されました。開局25周年を機に2007年12月にイメージキャラクター「ロッキュン」が発表され、一般公募の結果、翌年1月29日に正式に名前が決定しました。
「テレビユー」の社名は、当初「福島朝日放送」や「福島放送」とする予定でしたが、郵政省から「朝日」と入れるのは好ましくないと指摘され、テレビ朝日側から「福島放送」を譲って欲しいとの申し入れがあり、新たな社名として「テレビユー福島」(TUF)が選ばれました。この「テレビユー」の社名は、隣県で同じJNN系列の1989年開局のテレビユー山形(TUY)、1990年開局のテレビユー富山(TUT、現在はチューリップテレビ)にも使用されました。
テレビユー福島は、地域に密着した放送を続けており、今後もその役割を果たしていくことが期待されています。

アナウンサー・気象予報士