グリコ森永事件

Memoroca

1984年3月18日 グリコ森永事件


グリコ森永事件の始まり

 1984年3月18日午後9時30分頃、兵庫県西宮市の江崎グリコ・江崎勝久社長が自宅で入浴中、侵入してきた犯行グループの男3人に誘拐された。身代金を要求されたが、江崎社長は3日後の3月21日午後2時30分頃、大阪府摂津市の淀川沿いにある作業小屋から自力で抜け出し、警察に保護された。

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けいさつの あほども え - 犯人グループからの脅迫状

 それから3週間後の1984年4月7日、犯人グループから「かい人21面相」という名前で「けいさつの あほども え」の書き出しで始まる和文タイプライターで記された脅迫状が新聞社に送られる。5月10日、新たに届けられた「グリコのせい品にせいさんソーダいれた」と記された犯行声明文をもとに警察が捜査を進めたところ、実際に兵庫県西宮市のコンビニエンスストアから青酸ソーダ入りの菓子が発見された(グリコ毒入りチョコ事件)。菓子には「どくいりきけん たべたらしぬで かい人21面相」と記された紙切れが貼られてあった。
 このとき、真犯人につながる最大の手がかりとなったのが、防犯カメラだった。頭に野球キャップをかぶった男が青酸ソーダとみられる菓子を棚に置いて立ち去る様子が映っていたのだった。しかし、この男について有力な情報は得られなかった。


現金受け渡し - 犯人グループとの接触

 3週間後の6月2日、犯人グループからグリコに3億円を要求する脅迫文が届く。警察は受け渡し場所に現れた男を拘束したが、彼は犯人グループとは関係のない一般人だった。彼は犯人グループに交際中の女性を人質にとられ、解放を条件に現場に金を受け取りに来たと証言した。その後、交際中の女性は無事に解放されたことが確認された。
 そして6月26日、新聞社に「グリコゆるしたる」という手紙が届き、警察の捜査を残して一連の脅迫の終わりを窺わせた。


森永製菓への脅迫

 しかし、脅迫は別の会社に向けられる。今度の標的は丸大食品。そして、森永製菓などに次々と脅迫文が送りつけられる。なお、グリコ脅迫事件のあとに発生した丸大食品に対する脅迫事件は世間には伏せられていた。世間にはグリコの後に森永製菓への脅迫があったと報道されていたため「グリコ森永事件」と記憶されることになった。
 そして犯人グループはさらなる行動を起こす。10月、スーパーで販売されている森永製菓の菓子に青酸ソーダを混入させたのだった。さらにNHKに青酸ソーダの固形物を送りつけ、世間の動揺を誘う。


滋賀県警のミス

 同年の11月14日、事件は重大な局面を迎える。この日の夜、警察は犯人グループからハウス食品に向けられた1億円を渡すようにという要求通りに、受け渡し場所で犯人の到着を待っていた。名神高速道路の指定されたパーキングエリア内で待機していたその時、指定された地点の近くでパトロール中の滋賀県警のパトカーが不審車両を発見する。その車両は夜にも関わらずヘッドライトを点灯しておらず、さらに高速道路の真下に位置する一般道路で何かを待っていたかのように停車していたのだった。
 ところが、滋賀県警のパトカーが近づいて職務質問をしようとしたところ、その車両は逃走してしまう。乗っていた巡査らは受け渡しを「知らなかった」のだった。連携がしっかりとれていればうかつに近づいて取り逃がすことがなかった。滋賀県警はマスコミから集中砲火を浴びるきっかけになった。


グリコ森永事件の終焉

 その後も不二家や駿河屋に脅迫が続いたが、滋賀県警は脅迫のたびに当時のミスを責められることになる。そして翌年の1985年8月7日、滋賀県警の山本昌二本部長が責任を感じて自殺してしまう。
 本部長が自殺して5日後の8月12日、犯人グループから意外な声明文が届けられる。
「もうゆるしたろ くいもんの 会社 いびるの もお やめや・・・悪党人生 おもろいで」
 これ以降、犯人グループの動きは一切なくなった。
 奇しくも、8月12日は520人が死亡した日航ジャンボ機墜落事故が発生した日だった。ハウス食品の浦上郁夫社長はこの日航機に乗り合わせ、事故に巻き込まれた。浦上社長は脅迫の終焉を墓前に報告しに行くために日航機に乗ったという話もある。

 ―2000年2月12日、最後の駿河屋への脅迫事件から15年後に時効が成立。菓子商品の買い控えや犯人の似顔絵「キツネ目の男」が流行語になるなどの社会現象を起こしたグリコ森永事件は完全に終わりを迎えた。
 食品メーカーにとって新たな課題が残り、商品の包装は開封済みのものと未開封のものを区別しやすくする包装技術が求められ、現在のような比較的見分けがつきやすい包装に変化した。
 脅迫文であからさまに関西弁を使用していることから、これはカムフラージュで実際には関西の出身者ではないのではないかなどと様々な憶測が無数に流れたが、真相はわかっていない。
 この事件で作家の宮崎学氏が重要参考人Mとしてマークされ、時効後にその当時の周囲の混乱ぶりなどを書き記した著書が発売されて話題を呼んだ。
 また、2005年5月には台湾でこの事件を真似た青酸ソーダ混入事件が起きている。青酸ソーダ入りドリンクを飲んだ1人が死亡、2人が重体となった。容疑者は逮捕され、このグリコ森永事件からヒントを得て恐喝目的でやったと供述した。


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