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KBS京都

株式会社京都放送(Kyoto Broadcasting System Company Limited、略称KBS)は、京都府と滋賀県を放送対象地域とする中波放送(AMラジオ放送)事業と、京都府を放送対象地域とするテレビジョン放送事業を兼営する特定地上基幹放送事業者です。1951年にラジオ局として開局し、「京都放送株式会社」(愛称:ラジオ京都)として設立されましたが、1964年には社名を近畿放送に変更し、1969年にはテレビ局を開局しました。ラジオとテレビの兼営に移行するまでには17年4ヶ月という日本最長の間隔がありました。

1994年9月22日にはイトマン事件に絡んで会社更生法の適用を申請し事実上倒産しましたが、放送は継続されました。その後、1995年10月に社名を「株式会社京都放送」に変更し、現在の「KBS京都」の愛称も1981年の開局30周年を記念して制定されました。
KBS京都は、2006年から賀茂なすをモチーフとしたマスコットキャラクター「カモン・ナス」を採用し、テレビ・ラジオ共通のスポーツテーマ音楽としてフランツ・フォン・ブロンの『ヨーロッパ万歳』を使用しています。また、京都市出身の尾崎亜美が同局のイメージソングとして書き下ろした「My Shiny Town」も知られています。
2021年4月1日には毎日放送がラジオ放送事業を分社したため、KBS京都は近畿地方における唯一のテレビ・ラジオ兼営民放局となりました。
本社は京都府京都市上京区烏丸通一条下ル龍前町600番地の1にあります。滋賀支社(KBS滋賀)は滋賀県大津市京町4丁目3番33号にあり、スタジオも設置されています。東京支社は東京都中央区銀座8丁目2番8号、GINZA-POPスタジオが設置されており、過去にはラジオの生番組を放送していました。大阪支社は大阪府大阪市北区堂島1丁目5番17号の堂島グランドビル6階にあります。
KBSの歴史は豊かで、1951年の創立からラジオ放送の本免許交付、ラジオ放送の開始、テレビ局の開局、西日本初のオールナイト番組『KBS深夜放送』の開始など、多くの重要なイベントがありました。1975年には日本初のチャリティーテレビキャンペーン特番『宮城まり子のチャリティーテレソン』を放送し、1980年にはテレビ放送で民放初のプライムタイムの情報番組『タイムリー10』を開始しました。
しかし、1983年に白石英司社長が急死し、その後の経営不振や内紛が続き、1994年の経営破綻に至りました。1995年に再建が始まり、京都新聞社を筆頭とする新たな資本で再スタートを切りました。その後、サンテレビとの業務提携やメキシコのテレビ局「テレビサ」との相互独占配給契約などを経て、2005年には地上デジタルテレビ放送を開始しました。

アナウンサー・気象予報士