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KTS 鹿児島テレビ

鹿児島テレビ放送株式会社は、鹿児島県を放送対象地域とするフジテレビ系列のテレビ局として、1969年4月1日に開局しました。通称は鹿児島テレビ、略称はKTSとして親しまれています。マスコットキャラクターには『ぽよ』と『8ちゃん』を採用し、地域に密着した放送局としての親しみやすさを演出しています。
本社は鹿児島市紫原六丁目15-8に位置し、演奏所も同じ場所にあります。送信所も鹿児島市街地南西部の丘陵地である紫原に設置されており、本社テレビ塔からは自社の放送だけでなく、KYTの放送やフレンズFMも発信しています。これは、関連企業である鹿児島シティエフエム(フレンズFM)との提携によるものです。

KTSの歴史は、1958年に鹿児島県議会議長の大坪静夫が県内の民放テレビ局の複数化を検討したことに始まります。その後、1967年までに7社が免許を申請する競争となりましたが、調整の結果、1968年10月3日に7社の代表が発起人となり、同年11月11日に予備免許が交付されました。開局当初は、フジテレビ・日本テレビ・NETテレビ(現:テレビ朝日)の3系列クロスネット局として運営を開始しました。
開局時には、鹿児島市内の錦江湾一帯のみをカバーする「錦江湾テレビ」と揶揄されるほど限られた放送エリアでしたが、急ピッチで中継局の整備を進めました。1969年12月には初の中継局である串木野中継局を設置し、1971年までに本土の主要中継局を整備しました。離島方面へも1974年の南種子中継局から整備を進め、1977年1月には奄美地方の基幹中継局となる名瀬中継局が開局するなど、着実にカバーエリアを拡大していきました。
KTSは開局以来、放送技術の進歩に合わせて設備を更新し続けています。1972年9月21日には自社番組のカラー化を実現し、1973年10月には全日放送を開始しました。2006年12月には地上デジタル放送とワンセグの本放送を開始し、視聴者により高品質な映像と多様なサービスを提供しています。
現在、KTSは本社以外にも東京、大阪、福岡、鹿屋に支社を、薩摩川内、霧島、種子島、奄美に支局を設置し、広範囲にわたる取材網を構築しています。これにより、地域に密着した情報発信と全国ネットワークを活用した幅広い情報提供を可能にしています。
KTSの主要株主には、岩崎産業、南日本新聞社、関西テレビ放送、フジ・メディア・ホールディングス、指宿観光、島津興業、いわさきコーポレーション、西日本新聞社、読売新聞グループ本社、日本テレビ放送網などが名を連ねています。この多様な株主構成は、KTSが地域の利益と全国ネットワークのバランスを取りながら運営されていることを示しています。
KTSは、地域に根ざした放送局として、独自の番組制作にも力を入れています。平日18時台のニュース番組『KTS Live News』や、1990年に開始した土曜日18時30分からの情報番組『ナマ・イキVOICE』など、地域の視聴者に密着した情報を提供し続けています。また、2016年4月からは「笑顔で8ちゃんKTS」をキャッチフレーズに採用し、より親しみやすい放送局を目指しています。
KTSの番組制作力は、数々の受賞歴からも窺えます。『テレビで会えない芸人』は2020年日本民間放送連盟賞テレビエンターテイメント番組部門最優秀賞をはじめ、第58回ギャラクシー賞、第47回放送文化基金賞、第29回FNSドキュメンタリー大賞グランプリを受賞しました。また、『20年目の花火』は2023年日本民間放送連盟賞テレビ教養番組部門最優秀賞を受賞するなど、その制作力は全国的に高く評価されています。
KTSの放送は、鹿児島県全域をカバーするだけでなく、宮崎県、熊本県、沖縄県の一部地域でも視聴可能です。特に、宮崎県南西部の一部地域では、フジテレビ系列の単独ネット局がない宮崎県において、KTSの中継局を通じてリアルタイムでフジテレビ系列の放送を楽しむことができます。
KTSは、地域メディアとしての役割を果たすだけでなく、災害時の情報提供など、地域の安全・安心を支える重要な役割も担っています。今後も、デジタル技術の進化や視聴者のニーズの変化に対応しながら、鹿児島県の情報発信の中心として、地域に根ざした放送局としての使命を果たし続けることが期待されています。

アナウンサー・気象予報士