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NHK広島放送局

NHK広島放送局(エヌエイチケイひろしまほうそうきょく)は、日本放送協会(NHK)の地域放送局であり、広島県を放送対象地域としています。この放送局は、中国地方全体を管轄するNHKの拠点局として、中国地方5県を統括しています。広島市中区大手町に位置し、広島放送センタービル内にあります。この建物は、NHKとしては珍しく、第一生命との共同建設による複合ビルであり、一般企業のオフィススペースも設けられています。

NHK広島放送局は、世界初の原子爆弾被爆都市にある放送局として、平和を考える番組の制作に意欲的に取り組んでおり、その成果は世界へ発信されています。これまでに海外で賞を受けた番組もあり、特に文化庁芸術祭テレビ部門では、2008年に『帽子』で優秀賞を、2009年には『火の魚』で大賞を受賞しています。
かつて、ラジオ第1放送は山口県東部も放送対象地域としていましたが、岩国中継局(585 kHz)の新設後、山口県東部は放送対象地域から外れました。しかし、ラジオ第2放送は引き続き岩国市や柳井市といった山口県東部をエリア対象としています。また、2006年10月には広島地区で地上デジタル放送を開始しました。
2023年4月1日より、NHK広島放送局は、拠点局・地方局関係なく、部制度からセンター制に見直されました。これにより、旧放送部などの部門は各センターの下に配置されました。具体的には、経営管理センターが中国地方の各放送局を統括管理し、コンテンツセンター(旧:放送センター)がアナウンスや番組制作・技術などの現業部門を担当しています。また、視聴者リレーションセンター(旧:視聴者センター)は営業や広報など対視聴者部門を担当しています。
NHK広島放送局の歴史は1928年7月6日に始まりました。この日に社団法人日本放送協会広島放送局が開局し、ラジオ放送を開始しました(呼出符号:JOFK)。1934年5月16日には広島中央放送局に昇格しました。
1945年8月6日、広島市に原子爆弾が投下され、上流川町(現:中区幟町)にあった放送局舎が壊滅し、36名の職員が犠牲となりました。しかし、生き残った職員は原放送所(当時、安佐郡祇園町)に集合し、予備演奏所を使用して翌日からローカル放送を再開しました。この時、岡山放送局と交信が取れ、同局から原爆投下の第一報が東京へ伝えられました。
1950年6月1日、放送法施行に伴い社団法人日本放送協会が解散し、特殊法人としての日本放送協会が一切の権利義務を継承しました。1956年3月21日には総合テレビジョン放送を開始し、1961年1月8日には教育テレビジョン放送を開始しました。さらに、1962年9月17日にはFM実験放送を開始し、2年後には実用化試験放送に移行し、1969年3月1日には本放送となりました。
1964年10月1日には総合テレビジョンのカラー放送を開始し、1966年3月20日には教育テレビジョンのカラー放送を開始しました。1981年8月8日には総合テレビジョンの音声多重放送を、1991年3月21日には教育テレビジョンの音声多重放送を開始しました。
2006年10月1日には広島地区で地上デジタル放送を開始し、2008年4月1日には開局80周年を迎えました。2011年7月24日には正午でアナログ放送を終了し、23時59分までに停波しました。2018年4月改編より、週末・祝日(年末年始も含む)のニュース・気象情報はテレビ・ラジオともに終日中国地方向け放送に変更されました。
2019年6月14日には組織改正により広島拠点放送局に改称され、2021年3月3日にはNHKプラスで地域向けのテレビ番組の見逃し配信が開始されました。2022年4月1日には名称を広島放送局に戻し、総合テレビ週末・祝日18:45枠のローカルニュース・気象情報が広島・山口・岡山では各局別、松江・鳥取両局では『さんいんNEWS645』と題したブロックネットの体制に変更されました。
NHK広島放送局は、広島市中区大手町2丁目11-10に位置し、広島放送センタービル内にあります。このビルは、第一生命との共同建設による複合ビルであり、一般企業のオフィススペースも設けられています。現在の放送局は、広島県を放送対象地域とし、中国地方全体を管轄する拠点局として機能しています。
また、NHK広島放送局は、平和を考える番組の制作に力を入れており、これまでに多くの番組が海外で評価されています。文化庁芸術祭テレビ部門での受賞歴もあり、その活動は国内外で高く評価されています。これからも、広島の歴史と平和への思いを伝えるために、様々な番組制作に取り組んでいくことでしょう。

アナウンサー・気象予報士