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NHK新潟放送局

NHK新潟放送局は、新潟県を放送対象地域とする日本放送協会(NHK)の地域放送局で、テレビとラジオの県域放送を行っています。1931年11月11日に新潟市北部の中央区旭町通に開局し、その後の歴史と発展は多くの重要な出来事によって形作られてきました。
NHK新潟放送局の歴史は1931年に始まりました。最初のラジオ第1放送は中央区旭町通二番町で試験放送が行われ、その後本放送が開始されました。1946年には地方局として初めてラジオ第2放送を開始し、1950年にはAMラジオ送信所を西蒲原郡赤塚村(現新潟市西区)に移転しました。初代局舎が老朽化し、テレビ放送の開始に伴い施設の拡充が必要となったため、1961年に中央区弁天町に移転し、NHK新潟放送会館が建設されました。しかし、1964年の新潟地震で放送会館が被害を受けたため、1983年に中央区川岸町に再移転しました。

新潟放送局はその後も多くの革新を遂げました。1958年に新潟でのアナログ・テレビ放送を開始し、全国で21番目の放送局となりました。弥彦山からの送信所で、VHF2chで放送が行われました。1961年には上越地方の取材を担当する高田通信部が開設され、1962年には弥彦山送信所からのアナログ総合テレビのチャンネルを変更し、VHF8chにしました。1964年の新潟地震の際には、テレビ・ラジオを通じて全国に向けて被害状況を報道し、その後も放送局としての役割を果たしました。
1983年に中央区川岸町に移転した新しい放送会館では、放送機器の大半が一新され、総合テレビの音声多重放送の本放送も開始されました。1990年代には、ソビエト連邦や中国の放送局と協力協定を結び、国際的な放送協力も行われました。2000年代には地上デジタルテレビ放送の開始に伴い、デジタル放送への移行が進み、放送の質も向上しました。
2004年の新潟県中越地震の際には、地震関連のニュースを地元からハイビジョンで全国に放送し、地域の情報発信に努めました。2006年には地上デジタルテレビ放送の本免許を取得し、地上デジタルテレビ本放送とワンセグ放送を開始しました。これに伴い、ローカルニュース番組や一部のローカル番組もハイビジョンで放送されるようになりました。
2009年には、新潟県ゆかりの武将、直江兼続を描いた大河ドラマ「天地人」の放送が開始され、新潟県内外で大きな反響を呼びました。また、地元のスポーツチームであるアルビレックス新潟の試合も積極的に中継し、地域のスポーツ振興にも寄与しました。2009年のラジオ第1放送のローカル番組では、HARD OFF ECOスタジアム新潟からのBCリーグの試合を生中継し、地域のスポーツイベントの情報発信にも力を入れました。
NHK新潟放送局は、2011年のアナログ放送終了とともにデジタル放送に完全移行しました。2022年にはNHKプラスで地域向けのテレビ番組の見逃し配信が開始され、2023年には放送局内の組織再編が行われ、コンテンツセンターと経営管理企画センターに再編されました。
現在、NHK新潟放送局の放送会館は新潟市中央区川岸町にあり、長岡、上越、新発田、佐渡などに支局があります。情報カメラは新潟市萬代橋、新潟市新潟西港、佐渡汽船ターミナル付近、新潟市新潟空港、長岡市大手通り、佐渡市両津港、弥彦村、村上市日本海沿い、新潟市西蒲区夏井、糸魚川市糸魚川駅前、柏崎市などに設置されており、地域の情報発信に努めています。
このように、NHK新潟放送局は長い歴史の中で多くの変革を遂げ、地域の情報発信と文化振興に重要な役割を果たしてきました。

アナウンサー・気象予報士