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NHK沖縄放送局
NHK沖縄放送局は、日本放送協会(NHK)の沖縄県を対象とする地域放送局であり、中波放送(AM放送)、超短波放送(FM放送)およびテレビジョン放送の県域放送を行っています。その歴史は1942年3月19日、太平洋戦争中の首里市(現在の那覇市首里寒川町)で開局したことに始まります。当時は那覇周辺で有線放送を行っていましたが、1945年3月の沖縄戦直前の空襲で設備が被害を受けて機能停止し、一旦廃局となりました。その後、1972年5月15日の沖縄返還に伴い、1967年に設立された沖縄放送協会(OHK)の業務を引き継ぐ形で再び開局しました。
沖縄放送局のスタジオは当初、那覇市ではなく豊見城市にありました。これは一般的なNHK放送局が所在地の市名を使用するのに対し、唯一、県名を用いた放送局であるという特異な点です。また、豊見城市が市制施行される前の旧島尻郡豊見城村時代には、村に所在する唯一のNHK放送局でもありました。その後、放送会館は那覇市おもろまちに移転し、旧会館跡地は豊見城高安テレビ・FM送信所として送信機能のみが残されています。この移転により、全ての県庁所在地にNHK放送局が設置されることとなりました。
2022年5月15日、沖縄返還50周年を迎え、NHKは沖縄放送局を中心に「沖縄復帰50周年・つなぐ未来へ」という大型キャンペーンを展開しました。このキャンペーンは、沖縄の戦時下やアメリカ占領下の時代を後世に伝えるとともに、琉球王朝時代からの文化を語り継ぎ、沖縄の魅力を広く発信することを目的としています。その一環として、連続テレビ小説『ちむどんどん』が放送され、多くの参加・協賛番組やイベントが開催されました。
大東諸島における放送サービスの状況は、地勢的な要因により他の地域とは異なります。本島周辺や先島地区では地上デジタル放送を含めた全ての放送サービスを利用できますが、大東諸島では2019年6月時点で特有の事情があります。1975年にはNHK沖縄が放送試験局を開局し、ビデオテープを使った放送を南大東島役場に送り、1日4時間程度の放送を行っていました。1984年5月には、現在のNHK BS1の母体となる衛星第1放送の試験放送が始まり、地上波の総合の同時放送が提供されるようになりました。その後、1998年から2011年7月24日のアナログ放送終了までは、NHK東京の放送を受信し、地上波に変換して放送していました。アナログ放送終了後は、BSを利用したセーフティネット放送が行われています。
ラジオ放送については、2007年4月1日にFM波変換の形でラジオ第1放送の中継局が開局しましたが、極端な悪天候時には聴取できない場合があります。ラジオ第2放送の中継局は設置されておらず、全国同一内容の番組編成が行われています。FM放送は5月から8月頃のEスポ発生時以外は受信不可で、中継局の開設は未定です。2011年9月1日からは「NHKネットラジオ らじる★らじる」により、ラジオ第1・第2およびFM放送の番組をインターネットで聴取できるようになりました。
チャンネルと周波数については、総合系統がラジオ第1放送JOAP、総合テレビJOAP-DTV、FM放送JOAP-FM、教育系統がラジオ第2放送JOAD、教育テレビJOAD-DTVとなっています。JOAPは戦前の沖縄放送局に指定されていましたが、1945年の終戦とともに廃止され、戦後は前橋局のFM放送に指定されました。その後、本土復帰に伴い沖縄放送協会がNHK沖縄放送局に改組される際、JOAPは前橋局から沖縄局に譲られました。
1941年9月20日に逓信省が沖縄放送局の設置を許可し、1942年3月19日に開局しました。1945年3月23日に空襲で放送機能が停止し、沖縄は米軍統治下に置かれましたが、1967年に日本政府とNHKの支援で沖縄放送協会が設立されました。1972年5月15日の本土復帰に伴い、沖縄放送協会をNHKに統合し、沖縄放送局が再開局しました。その後、様々な技術革新と共に、沖縄の放送サービスは進化してきました。