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SUT テレビ静岡

株式会社テレビ静岡(Shizuoka Telecasting Co., Ltd.)、通称「テレしず」は、静岡県を放送対象地域とするテレビジョン放送事業を行っている特定地上基幹放送事業者です。テレビ静岡の略称であるSUT(Shizuoka UHF Television)は、計画当初の社名「静岡ユー・エッチ・エフテレビ株式会社」から来ていますが、現在ではほとんど使用されておらず、愛称の『テレしず』が一般的に用いられています。テレビ静岡はフジテレビジョン(FNN・FNS)系列局であり、フジテレビ系列の中部地方における基幹局です。静岡県の民放テレビ・ラジオ5社の中で唯一のネットワーク基幹局として、フジテレビや産業経済新聞社(産経新聞社)などを統括するフジ・メディア・ホールディングス、静岡鉄道、中日新聞社との関係が深い企業です。

テレビ静岡のコールサインはJOQH-DTVであり、リモコンキーIDは「8」です。静岡親局の物理チャンネルは関西テレビと同じ17ch(空中線電力 1kW / ERP 6.9kW)であり、かつてのアナログ放送では、静岡親局にJOQH-TV、浜松中継局にはJORH-TVが割り当てられていました。本社は静岡市駿河区栗原18-65に位置しています。2002年に導入された愛称「テレしず」は、デジタル放送のウォーターマークにも表示されており、2018年4月1日からは新聞のテレビ番組欄やテレビ情報誌でも「テレしず」と表記されています。ただし、この愛称は静岡県内向けであり、他県では「テレビ静岡」と表記されることが多いため、ニュース速報などでは現在でも「テレビ静岡」と表記されています。
テレビ静岡のキャッチコピーは「ハイ!し~ず テレしず」です。2009年6月には、元フジ・メディア・ホールディングスおよびフジテレビ取締役で、静岡市清水区出身の小林豊が代表取締役社長に就任しました。小林は1980年代に『オレたちひょうきん族』や『笑っていいとも!』でディレクターを務め、「ブッチャー小林」の愛称で知られています。2019年6月27日には、若松誠(元フジテレビ常務)が代表取締役社長に就任し、小林は取締役相談役に就任しました。
テレビ静岡は1967年11月1日に予備免許を取得し、1968年2月13日に「静岡ユー・エッチ・エフテレビ株式会社」として設立されました。同年10月9日に初の試験電波を日本平送信所より発射し、10月30日に社名を「株式会社テレビ静岡」に変更しました。1968年11月1日にはアナログ放送のサービス放送を開始し、12月24日に本放送を開始しました。テレビ静岡は岐阜放送に次いでUHFの民放テレビ局として全国2番目、ネットワーク加盟局としては初の開局であり、大都市圏以外での2局目としても初の開局でした。
テレビ静岡は1969年10月1日にFNSに加盟し、1978年には浜松中継局を浜松市富塚町から浜松市大平台に移転しました。1979年4月からは現在も放送されている「テレビ寺子屋」の放送を開始しています。1980年8月16日には、静岡駅前地下街爆発事故の取材中に大規模な二次爆発が発生し、その瞬間の映像がFNNを通じて全国に配信されました。1982年には報道取材ヘリコプター「レインボー」を導入し、1983年には開局15周年を記念して音声多重放送を開始しました。1984年には本社事務棟の隣に新館を増築し、1985年には新主調整室と報道スタジオが稼働しました。
1993年にはJリーグ清水エスパルスの筆頭株主となり、1994年には静岡市葵区伝馬町に「メディアシティビル」を建設しました。2002年には愛称に「テレしず」が加わり、2005年には地上デジタル放送の本放送を開始しました。2009年には代表取締役社長に小林豊が就任し、2010年にはアナログ放送の終了告知テロップの常時表示を開始しました。2011年にはアナログ放送を終了し、2017年には新社屋へ移転し、2018年には旧社屋の大半を解体してイベント広場や駐車場を整備しました。
2019年には代表取締役社長に若松誠が就任し、2023年には日本民間放送連盟賞のテレビグランプリを受賞しました。2024年には『イーちゃんの白い杖 特別編』の劇場公開が決定しました。テレビ静岡は長い歴史の中で多くの変遷を経てきましたが、現在も地域に根ざした放送局として活動を続けています。

アナウンサー・気象予報士