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NHK山口放送局
NHK山口放送局は、山口県を対象とする日本放送協会(NHK)の地域放送局であり、テレビとラジオで県域放送を行っています。この放送局の歴史は1941年(昭和16年)4月に始まり、中国地方で5番目のNHK地方放送局として開局しました。最初は社団法人日本放送協会防府放送局という名称で、防府市桑山(現在の防府市役所付近)から電波を送出していました。1962年(昭和37年)4月には第18回国民体育大会を控えて山口市に移転し、山口市中央5丁目で山口放送会館を運用開始しました。これにより、防府放送局は山口放送局に改称され、全国の県庁所在地にNHKの地域放送局が設置されることになりました。
放送局は2005年(平成17年)4月に現在の山口放送会館に移転し、翌年の2006年(平成18年)10月1日から地上デジタル放送を開始しました。それまでの山口放送会館は、山口市役所の分庁舎として再活用されています。下関市は福岡県北九州市とともに「関門地区」として扱われており、現在でもNHK北九州放送局を視聴する傾向があります。しかし、完全デジタル化を控えて、地元中継局へのアンテナを向けるようにというキャンペーンが行われ、下関市出身の演歌歌手山本譲二を地デジ化応援隊メンバーに起用しています。
沿革として、1941年(昭和16年)4月19日に防府放送局が開局し、ラジオ放送を開始しました。1942年(昭和17年)には萩臨時放送所が開設され、電波管制に伴う措置としてラジオ放送が始まりました。1950年(昭和25年)には放送法施行に伴い社団法人日本放送協会が解散し、特殊法人としての日本放送協会が設立されました。1956年(昭和31年)には下関放送局が開局し、ラジオ第1放送が開始されました。1959年(昭和34年)には防府総合テレビが開局し、1961年(昭和36年)には田床山に萩テレビ中継局が設置されました。1962年(昭和37年)には山口放送会館(初代)が運用開始され、防府放送局と山口演奏所を統合して山口放送局と改称しました。
その後も山口放送局は様々な変遷を遂げてきました。1984年(昭和59年)には総合テレビ音声多重放送が開始され、1988年(昭和63年)にはNHKの組織改革により下関放送局が下関支局と改称されました。1990年(平成2年)には山口放送局と韓国のKBS昌原放送総局との間で地域放送の協力協定が結ばれました。2005年(平成17年)には山口放送会館が現在地に移転し、2006年(平成18年)には地上デジタル放送が開始されました。2011年(平成23年)にはアナログ放送が終了し、翌日には完全停波となりました。
近年では、2018年(平成30年)4月の改編より週末・祝日(年末年始も含む)のニュース・気象情報はテレビ・ラジオともに終日広島からの中国地方向け放送に変更されました。これにより、山口県のニュース・気象情報は平日のみの放送となりました。2023年(令和5年)4月1日には令和改革により、部制(放送部・営業推進部等)からセンター制に見直され、コンテンツセンターと経営管理企画センターに再編されました。5月22日にはNHKプラスで地域向けのテレビ番組の見逃し配信が開始されました。