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RBC 琉球放送

琉球放送株式会社(Ryukyu Broadcasting Corporation、略称RBC)は、沖縄県を放送対象地域とする中波(AM)放送とテレビジョン放送を提供する特定地上基幹放送事業者です。沖縄県全域および鹿児島県の一部(奄美地方)を放送エリアとし、ラジオ局のコールサインはJORR、テレビ局のコールサインはJORR-DTVです。2002年4月にはラジオ局の名称を「RBCiラジオ」に変更し、社内カンパニー化して独立採算制を導入しました。現在、RBCは沖縄で最初に開局した民放として、その歴史と影響力を持つ放送局です。

琉球放送の本社は那覇市久茂地2丁目3-1に位置し、郵便番号は900-8711です。テレビはJNN系列、ラジオはJRN系列で放送しており、アナウンサー紹介ページのタイトルを最適化するためには、沖縄でのメディアの信頼性や影響力を強調することが重要です。放送エリアは沖縄県全域と鹿児島県の奄美地方に及び、ラジオ局の送信所は豊見城市嘉数にある嘉数放送所から送信されており、iラジオ2波(AM738kHz・FM92.1 MHz)とデジタルテレビ2波(RBC・QAB)の計4波を一括でカバーしています。アナログテレビ放送は1985年まで嘉数放送所から送信されていましたが、その後、豊見城市高安にある旧NHK沖縄放送会館に移転し、2011年7月24日にアナログ放送は終了しました。
同社の社屋は沖縄県の大動脈である国道58号に面しており、QAB琉球朝日放送と同居しているビルの中に位置しています。オープニングとクロージングでは「RBCソング」が流れており、テレビ開局後に制作されたこの曲は、地上デジタル放送のクロージングで歌詞が表示されないものの、演奏・合唱は2度リニューアルされています。ラジオでは「RBCiラジオソング」が用意されており、こちらの歌詞には3番まであり、曲に合わせたダンスの映像も公開されています。
毎年10月には那覇市の奥武山公園で「那覇まつり」を主催しており、このイベントは地域の人々にとって重要な文化的行事です。また、大東諸島ではアナログテレビ時代から中継局がなかったため、RBCの番組は長らく視聴できなかったが、1998年に沖縄県の情報を電話回線による字幕テロップで挿入して放送が開始され、地上デジタル放送開始後の2011年7月22日にデジタル新局として開局しました。さらに、iラジオは日中のみ那覇本局から直接受信できましたが、2007年4月1日に南大東村にFM波を使用した南大東中継局が設置され、難聴取状態は解消されました。
RBCは日本民間放送連盟賞を受賞するなど、多くの受賞歴があります。特に『消せない記憶~元学徒兵の苦悩~』で2019年にラジオ報道番組最優秀賞を、また『戦場のうた 元”慰安婦”の胸痛む現実と歴史』で2014年にテレビ報道番組最優秀賞を受賞しています。2023年には『共同売店のうた』が第33回JNN企画大賞を受賞し、2024年1月20日に全国ネットで放送される予定です。このように、RBCは地域メディアとしての役割を果たしつつ、その質の高いコンテンツで広く評価されています。
さらに、RBCは毎年秋に「応援!18の旅立ちチャリティーキャンペーン」を実施し、児童養護施設や里親家庭に生活支援が必要な児童・生徒らを支援しています。このプロジェクトは2014年から開始され、2022年からは「RBC SDGsプロジェクト・つなごう沖縄キャンペーン」の一環として実施されています。
琉球放送の歴史は1948年5月3日に、極東軍司令部によって暫定的な放送局建設が認可されたことから始まります。1949年5月16日に琉球放送局が設立されましたが、放送は1週間で中止されました。その後、1950年1月21日に正式に「琉球の声」として放送が開始され、1953年2月1日には呼出符号がKSARに変更されました。1954年4月1日には、琉球大学財団から放送設備を買収し、民間放送としてスタートしました。1955年9月1日には、英語放送を開始し、アメリカ統治下の沖縄で民放ラジオ局としては初の1局2波体制を確立しました。
テレビ放送の免許申請は1957年7月24日に行われましたが、琉球政府により却下されました。その後、1958年10月1日には完全な民間放送としてスタートし、1960年6月1日には沖縄で2番目の民間テレビ放送が開始されました。1972年5月15日に沖縄の日本復帰に伴い、テレビとラジオの呼出符号が変更され、テレビのチャンネルも日本式に変更されました。1973年11月1日には英語ラジオ放送が廃止され、ラジオ1局2波体制が終了しました。
1980年には放送会館が11階建てのビルに増改築され、1985年6月1日にはテレビの送信所が移転しました。1995年10月1日には、テレビ朝日系の琉球朝日放送(QAB)が開局し、それに合わせてCIが導入されました。2001年4月1日には北部ラジオ中継局がFMで開局し、2002年4月1日にはラジオ局に社内カンパニーが導入され、名称が「RBCiラジオ」に変更されました。2006年には地上デジタル放送に対応したマスターへ更新し、2007年4月1日には南大東FM中継局が開局しました。2011年7月24日にはテレビのアナログ放送が終了し、デジタル放送が一本化されました。
創立70周年を迎える2024年1月1日には、新たなスローガン「一生によりそう一秒を。」とともに、CIが導入され、新しいブランドロゴマークが刷新される予定です。また、同年4月1日にはRBCiラジオの石垣FM中継局が移転し、周波数も変更される予定です。9月20日には創立70周年のイベントが予定されています。
このように、琉球放送株式会社は長い歴史を持ち、沖縄のメディアとして地域に根付いた放送活動を続けています。

アナウンサー・気象予報士