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RNB 南海放送
南海放送株式会社(なんかいほうそう、英: Nankai Broadcasting Company, Ltd.)は、愛媛県を放送対象地域とする中波放送(AMラジオ放送)事業とテレビジョン放送事業を兼営している特定地上基幹放送事業者である。略称はRNBで、これはラジオ開局当初の「Radio Nankai Broadcasting」に由来する。
南海放送のラジオ局のコールサインはJOAF(1116 kHz)、テレビ局のコールサインはJOAF-DTV(デジタル:20ch、リモコンキーID:4)である。かつては地域別の番組を放送していたため、ラジオには複数のコールサインが存在し、アナログテレビ放送では松山のほかに新居浜用のコールサインも存在していた。社名の「南海」は放送エリアを意識したものであり、大阪の南海電気鉄道との人材・資本関係はない。系列新聞は愛媛新聞で、ニュース名称はラジオが『愛媛新聞ニュース』、テレビが『なんかいNEWS』である。1986年9月まではテレビニュースも『南海放送ニュース』として放送されていた。
南海放送のテレビは日本テレビ系列に属し、ラジオはJRN系列とNRN系列のクロスネットである。自社制作番組も多数放送しており、そのPRのために伊予鉄バスに同社の番組広告をラッピングしたバスが運行されたこともある。また、ラジオのナイターシーズンにはプロ野球中継『RNBドリームナイター』が2005年から放送されている。マスコットキャラクターは「ウィット」で、2006年4月2日よりヤギの「ジェントル!」に変わり南海放送の顔となった。名前の由来は「wit」が「気のきいた会話や文章などを生み出す才知・機知・とんち」を意味し、「witness」が「~を目撃する、(まのあたりに)見る、目にする」を意味する。また、「南海」は伊予弁で「なんですか?」を意味し、英語で「What Is This?」の頭文字をとって「wit」ともされている。
南海放送はアニメの放映にも積極的で、全日アニメ・深夜アニメ共に在愛局のうち最も放映実績がある。2018年からはテレビでJリーグ・愛媛FCのホームゲーム全試合を録画放送し、2020年から2022年までFC今治のホームゲームもほぼ全試合録画放送していた。また、テレビの平日のローカルニュースは1986年9月29日から17時台に開始し、意欲的な編成を行っている。
ラジオのマルチメディア化にも熱心で、全国初のAMラジオのCATVサイマル放送や、ローカル局初の動画つきインターネットラジオをスタートさせ、後にradikoとの併用になる。また、FM補完中継局の設置によるFMラジオ放送への進出や、ワンセグ2サービスでのラジオサイマル放送など、県内唯一のラテ兼営局として工夫を凝らし続けている。南海放送は日本民間放送連盟賞やギャラクシー賞を中国・四国地方の民放の中で数多く受賞している局の一つでもある。
毎年1回、番組審議会ではテレビとラジオごとに候補番組の中から優良番組を番組審議委員(社外委員)が一つずつ選定する制度がある。この制度は北陸放送でも「番組審議会賞」と称して同様の形式で行われている。2017年からのキャッチコピーは「ゆめモグ 南海放送」で、2018年は開局65周年バージョンとして「そだて、みんなのみらい。ゆめモグ65th 南海放送」としている。2020年以降は「私たちは、愛媛主義」のキャッチフレーズも併用されている。
愛媛県の民放では唯一、コールサインの3文字目が“A”である。県内民放テレビ他局とエフエム愛媛は全局、コールサインの3文字目が「Ehime」の“E”であるが、南海放送は異なる。会社設立以来、社名変更を行ったことはない。2023年の年間視聴率では、3年連続で個人全体視聴率とコアターゲット(男女13歳~49歳)で5冠(全日・ゴールデン・プライム・ノンプライム・プラチナ)を達成し、世帯視聴率の全日・ゴールデンは15年連続首位を獲得した。年度視聴率でも個人視聴率で4年連続で3冠(全日・ゴールデン・プライム)を達成し、世帯視聴率でも3冠を達成した。特にプライムは5年ぶりの首位だった。
南海放送はFM転換を見据えた総務省実証実験として、2024年2月1日から2024年9月30日までの期間、AMラジオを停波し、FMまたはワイドFM放送で代替放送を行う予定である。
本社は愛媛県松山市本町1丁目1番1号に所在する。1953年2月に高知県のラジオ高知(現在の高知放送)が松山市に中継局設置を計画したことに危機感を感じた地元紙の愛媛新聞が中心となって開局準備を進めた。1952年12月に愛媛新聞社の取締役会で「民放新会社設立」が決議され、翌1953年の第8回国民体育大会を電波に乗せることを目標とした。1953年1月6日に愛媛新聞社内に南海放送創立事務所が設置され、2月25日に第1回南海放送発起人会が開催された。2月28日に出力3kWのラジオ放送局の免許申請が行われ、7月10日にラジオ放送局開設申請が一部訂正され、出力が3kWから1kWに変更された。8月1日に設立準備会社へ予備免許が交付され、9月28日に「南海放送株式会社」創立総会が開催され、翌日設立登記が完了した。10月1日に全国21番目にラジオ放送を開始し、愛称は「ラジオ南海」、周波数は1120kc、出力は昼間1kW・夜間500Wであった。第一声は当時京都放送のアナウンサーで、国体が終わるまで応援のため来ていた糸居五郎が担当した。10月22日には第8回国民体育大会を実況中継し、糸居五郎アナウンサーのほか、ラジオ東京の芥川隆行アナウンサーも応援に駆けつけた。
1955年11月24日にテレビ放送局の免許申請が行われ、1956年10月1日に新居浜ラジオ局(JOAL 800kc)と宇和島ラジオ局(JOAM 1560kc)が開局し、各局とも出力100Wであった。松山ラジオ局は全日1kW運用を開始した。1957年10月22日にテレビ予備免許が付与され、1958年12月1日にテレビ放送を開始した。テレビ開局とラジオ開局5周年を記念して、愛媛県民館で演芸会が開催され、俳優の高倉健も出演した。1959年8月1日に発足したJNNに番組販売で参加し、11月10日に松山ラジオ局は3kWに増力された。1960年12月15日には全日3kW運用となった。1960年6月1日に新居浜テレビ局が開局し、コールサインはJOAL-TV、チャンネルは6ch、映像出力は250W、音声出力は63Wであった。新居浜へのマイクロ自営回線を敷くため、石鎚山系堂ケ森に反射板が設置された。
1961年にはテレビでNETテレビの学校教育放送をネット開始し、6月1日には早朝放送を開始したが、効果が見込めず1963年4月改編で終了した。7時台の早朝放送は1967年4月に再開された。1961年7月31日および8月1日には夏の高校野球北四国大会をテレビ初中継し、12月1日には八幡浜テレビ局が開局した。1962年5月10日に初代テレビ中継車が導入され、7月1日の参議院議員選挙より使用開始された。1963年には機構改革で事業局が新設され、BGMの普及活動が含まれた。この事業は1968年の「南海放送音響事業(現在の南海放送音響照明)」設立に繋がった。