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RNC 西日本放送
西日本放送株式会社は、香川県を本拠とするラテ兼営の特定地上基幹放送事業者である。略称のRNCは、西日本放送ラジオ(Radio Nishinippon broadcasting Company)に由来し、ホームページ等ではRNC西日本放送と記載されている。同社の放送事業は、テレビとラジオの二つの部門に分かれており、テレビ部門は香川・岡山両県を放送対象地域とする準広域局である一方、ラジオ部門は香川県のみを放送対象地域とする県域局となっている。
西日本放送の歴史は1953年7月29日に遡る。四国新聞社や香川県内の商工会議所などの出資によりラジオ四国が設立され、代表取締役に平井太郎が就任した。同年10月1日には、全国21番目となるラジオ本放送を開始。当初の本社・演奏所及び送信所は高松市木太町に置かれ、コールサインJOKF、周波数1060kc(kHz)、出力100Wでスタートした。開局アナウンスは木村光夫元アナウンサーが担当し、同日に四国放送(徳島県)と共に四国放送連盟(SBS)を結成した。
その後、1955年3月1日には観音寺市に観音寺ラジオ送信所を開局し、同年12月1日には代表取締役が平井太郎から平井仁之助に交代した。1956年10月1日には社名を西日本放送に変更し、同時に高松局の出力を1kWに増力している。
テレビ放送は1958年7月1日に開始され、全国で8番目の開局となった。コールサインはJOKF-TV、9ch、映像出力1kW、音声出力250Wでスタートした。1959年10月1日には高松市丸の内の現在地に新本社(西日本放送会館)が落成し、それまで分散していた本社機能が集約された。
1960年代に入ると、西日本放送は積極的に支社を開設し、事業拡大を図った。1960年5月10日には岡山県内の取材拠点として岡山支社を開設し、1962年9月1日には名古屋支社も開設した。1964年10月5日にはテレビカラー放送を開始し、1965年5月3日にはラジオ放送のネットワークとしてNRNに加盟、1966年10月1日にはテレビ放送のネットワークとしてNNNに加盟した。
1970年代には、岡山市の天満屋岡山店内にサテライトスタジオを開設し、中国総局制作のローカルテレビ番組をスタートさせた。1978年には平井卓志が代表取締役社長に就任し、1979年4月1日には岡山県と香川県のテレビ放送の相互乗り入れを開始した。
1980年代に入ると、テレビ音声多重放送を開始し、1986年にはCIを導入してロゴマークを現在のものに変更した。同年9月17日にはテレビ送信所を青峰から金甲山へ移転し、放送設備の近代化を図った。
1990年代には、ラジオ全局同一周波数での放送を開始し、1995年10月25日には最後のアナログテレビ中継局となる勝田真加部中継局を開局した。1997年10月からは、ラジオ放送においてJRNとNRNのクロスネット局としての体制を確立し、「ネットワークTODAY」などJRNネット番組を開始した。
2000年代に入ると、デジタル化への対応が進められた。2005年11月1日にはアナログ・地上デジタル統合テレビマスターの運用を開始し、2006年12月1日には地上デジタルテレビ本放送を開始した。
西日本放送は、自社制作番組にも力を入れており、ローカルニュースやバラエティ番組など、地域に密着したコンテンツを提供している。また、ラジオ部門では「オールナイトニッポン」や「生島ヒロシのおはよう一直線」などの全国ネット番組も放送している。
現在、西日本放送は「ゆめモグ 西日本放送」というキャッチコピーを掲げ、地域に根ざした放送局として活動を続けている。テレビ部門では日本テレビ系列のフルネット局として、ラジオ部門ではJRNとNRNのクロスネット局として、多様な番組を提供している。
西日本放送の特徴として、中四国地方に所在する日本テレビ系列のテレビ局では唯一終夜放送を行っていない点が挙げられる。また、ラジオのマルチメディア化にも積極的で、全国初のAMラジオのCATVサイマル放送や、ローカル局初の動画つきインターネットラジオを開始するなど、新しい技術やサービスの導入にも前向きな姿勢を見せている。
西日本放送は、地域メディアとしての役割を果たしつつ、全国ネットワークの一員としても重要な位置を占めている。今後も、地域の情報発信や文化振興に貢献しながら、放送技術の進化に対応し、視聴者のニーズに応える放送局として発展を続けていくことが期待される。