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NHK福島放送局

NHK福島放送局は、福島県を対象地域とする日本放送協会の地域放送局であり、テレビとラジオを通じて県域放送を行っています。特に東日本大震災とそれに続く東京電力福島第一原子力発電所事故以降、放送局は報道と生活情報番組に重点を置くようになり、被災した福島県民の生活再建を支援するための情報提供を行っています。大河ドラマ『八重の桜』や連続テレビ小説『エール』が放送された際には、地元放送局として盛り上げを図り、多くの県民の関心を引きました。

1941年2月12日、社団法人日本放送協会福島放送局(JOFP)と郡山放送局(JOCP)が同時に開局し、福島市公会堂での開局式には東京放送管弦楽団が参加し、歌謡曲『みんな揃って翼賛だ』を演奏しました。同日、郡山市公会堂でも開局式が行われ、郷土演芸会が開催されました。同年12月30日には平放送局(JOHQ)が仙台中央放送局の臨時中継放送所として開局しました。翌年の1942年5月31日には会津若松ラジオ放送所が開局しました。
1950年6月1日、社団法人日本放送協会が解散し、放送法に基づく特殊法人として新たに設立された日本放送協会が旧社団法人の一切を継承しました。翌1951年6月1日には、福島局と郡山局がラジオ第2放送を開始しました。1952年5月10日には平局もラジオ第2放送を開始しました。1959年3月1日、総合テレビジョン(JOFP-TV)が笹森山から福島・郡山両市をエリア対象に放送を開始し、福島県で初めてテレビ放送が始まりました。
1960年代には教育テレビジョン(JOFD-TV)の放送開始や、いくつかのラジオ中継放送所の開局が続きました。1965年には旧福島放送会館が落成し、郡山放送会館の運用が開始されました。1966年にはいわき市発足により平放送局がいわき放送局に改称され、1971年には総合テレビの全面カラー化が実現しました。1984年には総合テレビで音声多重放送が開始されました。
1988年の機構改革では、郡山局といわき局が福島局の支局に格下げされ、コールサインが廃止されました。1991年には教育テレビで音声多重放送が開始され、1998年には双葉ラジオ中継放送所が開局しました。2000年には総合テレビで大型県域番組『ゆうYOUふくしま』が放送開始されました。
2005年には老朽化に伴い福島放送会館が福島駅前に移転し、環境対策として屋上に畑が作られました。2006年にはデジタルテレビジョン放送が開始され、会津若松や原町、いわき南のデジタルテレビジョン中継局が次々と開局しました。2009年にはいわき北デジタルテレビジョン中継局が開局し、総合テレビで県域番組『ふくみみ』が放送開始されました。
2011年3月11日に東北地方太平洋沖地震が発生し、福島放送局は災害関連報道に専念するため、開局70周年関連の企画を中止し、報道・情報系以外の番組制作を事実上廃止しました。6月5日には『今夜も生でさだまさし -がんばらんば福島-』が全国放送されましたが、避難所の人々の視聴を考慮し、1週間後に再放送されました。同年9月には双葉ラジオ中継局が震災と原発事故の影響で停波しましたが、翌年3月に放送を再開しました。
2012年にはアナログテレビジョン放送が終了し、ロンドンオリンピックのパブリックビューイングが実施されました。2013年にはラジオ第1放送「ふくみみラジオ」が放送開始され、2016年には「こでらんに5」が放送開始されました。同年4月29日からは、祝日のローカルニュース枠が仙台からの東北ブロックニュースに統一されました。
2021年4月の番組改編では、土日・祝日のローカルニュースが原則として東北地方向けの放送に変更され、福島からの県内ニュース枠は平日のみとなりました。2022年3月13日には、東日本大震災で中止されたNHKのど自慢が11年越しで同じ日に田村市で開催されました。2023年には部制からセンター制に見直され、NHKプラスで地域向けテレビ番組の見逃し配信が開始されました。2024年の番組改編では、総合テレビで「はまなかあいづサタデー・サンデー」が放送されるため、福島ローカル枠が一部復活しました。
福島局は、地域に密着した番組制作を行い、県民に信頼される情報提供を続けています。東日本大震災以降、災害関連の報道に重点を置き、地域の復興に貢献してきた歴史を持つ放送局として、その役割を果たしています。

アナウンサー・気象予報士